Thank you and see you. We were Pastels from PASTEL JAZZ!
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ラストのパステルジャズは、いろんな意味で特別なものになりました。
…なってしまいました。
たくさんの気持ちを込めて「ありがとう」と言わせて下さい。
パステルジャズは、昨日のパーティをラストに一旦「活動休止」を宣言。最後パッと騒いで終わろうって考えていたのですが、突然の、ディスクガレージの丸山さ んの訃報。本当に驚きました。パステルジャズがラストであること、それにも増して丸山さんが亡くなったこと、この2つによって僕の気持ちがグラついていたのは確かです。
森岡さんやカズミさん、トモヤをはじめ歴代プラハの店長、他たくさんの先輩DJの方々や新潟のクラブシーンを築いてきた人たちに比べたら、ボクなんて深い親交があったとは言えないけど、少し思い出を話します。
ボクがDJを始めた19,20歳のころ、ディスクガレージに行くようになりました。初めて店に入った頃のことは今でも覚えています。馴染みの大御所DJが試聴専用シートに座り、何枚もレコードを聴きながら丸山さんと楽しそうに話をしている。ボクは買うレコードなんかとっくに決まっているのに、その楽しそうな会話を割ってまで「コレください」と言う勇気はなく、結局その後1時間ほど、見てもさっぱり分からないロック やジャズの棚を探しているフリをしながら、誰もいなくなるのを待っていました。
そんな緊張感溢れるレコード買いを繰り返しているうちに顔を覚えてもらえて、店に行くと黙っていても目の前にサクサクとレコードを20枚ほど積まれて「こんなの好きでしょ?」「コレ持ってるっけ?」と次々と素晴らしい音楽たちを教えてもらいました。ちなみに行くのは決まって夜10時頃。じっくりと聞ける時間。
と、ここまではよくあるヤングDJの通る道。そしてボクのちょっと特別な思い出は、社会人になってから。ディスクガレージと言えば、あの太いケーブルのレコードプレイヤーと真空管のアンプ、そしてブラシのついたレコード針。当時、ヨドバシカメラでオーディオ担当として働いてたボクはガレージの機材にも興味津々で、アンプやレコード針の話もよく聞かせてもらいました。「この針じゃないと、ダメなんだよ。ほかのも試したけどなんか違うのね。ぜんぶコレに合わせて音作ってるから」って言っていました。確かによく分かります。ガレージで聞くレコードの音は特別です。家に帰ってターンテーブルに乗せてもせても何か違う。どこが良くて買ったのか理解できないレコードだってありましたw。あの場所で聞く音は特別なのです。
そしてある日、あのブラシのついたレコード針が生産完了になったという情報がボクの元へ入ってきました。たしかXV-15/625E-Sという型番。ボクはディスクガレージへすぐに電話しました。丸山さんは「もちろん買う」と。そして全国のヨドバシカメラへ電話して、残っている在庫をかき集めました。もう生産完了後だったから残りもほとんど無くて、それでもやっと5個くらいは集めた。そうして全国のヨドバシカメラに散らばっていた、あのブラシ付きのレコード針はディスクガレージのもとへ渡ったのでした。
これがとても大切なディスクガレージの思い出。
やっぱりアナログレコードの存在はボクにとってすごく大きい。CDにはかなわない、いろんなモノを持っています。これからもレコードは買い続けるし聞き続けようと思います。
マサカズ
…なってしまいました。
たくさんの気持ちを込めて「ありがとう」と言わせて下さい。
パステルジャズは、昨日のパーティをラストに一旦「活動休止」を宣言。最後パッと騒いで終わろうって考えていたのですが、突然の、ディスクガレージの丸山さ んの訃報。本当に驚きました。パステルジャズがラストであること、それにも増して丸山さんが亡くなったこと、この2つによって僕の気持ちがグラついていたのは確かです。
森岡さんやカズミさん、トモヤをはじめ歴代プラハの店長、他たくさんの先輩DJの方々や新潟のクラブシーンを築いてきた人たちに比べたら、ボクなんて深い親交があったとは言えないけど、少し思い出を話します。
ボクがDJを始めた19,20歳のころ、ディスクガレージに行くようになりました。初めて店に入った頃のことは今でも覚えています。馴染みの大御所DJが試聴専用シートに座り、何枚もレコードを聴きながら丸山さんと楽しそうに話をしている。ボクは買うレコードなんかとっくに決まっているのに、その楽しそうな会話を割ってまで「コレください」と言う勇気はなく、結局その後1時間ほど、見てもさっぱり分からないロック やジャズの棚を探しているフリをしながら、誰もいなくなるのを待っていました。
そんな緊張感溢れるレコード買いを繰り返しているうちに顔を覚えてもらえて、店に行くと黙っていても目の前にサクサクとレコードを20枚ほど積まれて「こんなの好きでしょ?」「コレ持ってるっけ?」と次々と素晴らしい音楽たちを教えてもらいました。ちなみに行くのは決まって夜10時頃。じっくりと聞ける時間。
と、ここまではよくあるヤングDJの通る道。そしてボクのちょっと特別な思い出は、社会人になってから。ディスクガレージと言えば、あの太いケーブルのレコードプレイヤーと真空管のアンプ、そしてブラシのついたレコード針。当時、ヨドバシカメラでオーディオ担当として働いてたボクはガレージの機材にも興味津々で、アンプやレコード針の話もよく聞かせてもらいました。「この針じゃないと、ダメなんだよ。ほかのも試したけどなんか違うのね。ぜんぶコレに合わせて音作ってるから」って言っていました。確かによく分かります。ガレージで聞くレコードの音は特別です。家に帰ってターンテーブルに乗せてもせても何か違う。どこが良くて買ったのか理解できないレコードだってありましたw。あの場所で聞く音は特別なのです。
そしてある日、あのブラシのついたレコード針が生産完了になったという情報がボクの元へ入ってきました。たしかXV-15/625E-Sという型番。ボクはディスクガレージへすぐに電話しました。丸山さんは「もちろん買う」と。そして全国のヨドバシカメラへ電話して、残っている在庫をかき集めました。もう生産完了後だったから残りもほとんど無くて、それでもやっと5個くらいは集めた。そうして全国のヨドバシカメラに散らばっていた、あのブラシ付きのレコード針はディスクガレージのもとへ渡ったのでした。
これがとても大切なディスクガレージの思い出。
やっぱりアナログレコードの存在はボクにとってすごく大きい。CDにはかなわない、いろんなモノを持っています。これからもレコードは買い続けるし聞き続けようと思います。
マサカズ
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ハンドクラップして、ステップ踏んで、ゲラゲラ笑って、キュンとする。
ネオアコ生まれフリーソウル育ち。
90年代にバフアウト!読んで、漠然とクラブにあこがれてた微熱少年が
30超えてもまだなお微熱冷めやらぬ鼻息荒めの隔月パーティー。
バカ騒ぎ終了胸騒ぎ開始!ってなっ。
新潟市のunder water bar prahaを
ホームグラウンドに活動していたが2010年5月活動休止。
ネオアコ生まれフリーソウル育ち。
90年代にバフアウト!読んで、漠然とクラブにあこがれてた微熱少年が
30超えてもまだなお微熱冷めやらぬ鼻息荒めの隔月パーティー。
バカ騒ぎ終了胸騒ぎ開始!ってなっ。
新潟市のunder water bar prahaを
ホームグラウンドに活動していたが2010年5月活動休止。
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